なぜ君は絶望と闘えたのかー本村洋の3300日  門田 隆将

18歳の少年が、23歳の主婦とその娘を殺害した光市母子殺害事件
残された夫、本村洋さんのその後の戦いと、
彼とともに戦い、彼を支えた周囲の人々の姿を綴った物語だ。


この事件は、犯人の少年の遺族をバカにしたような言動や
最高裁での弁護団による呆れるばかりの主張など
ニュースで見ただけでも気持ちがすさんでしまうものだった。
それに当事者として関わっていた本村さんの悔しさや虚しさは
私たちの想像以上だと思う。
おまけにそんな加害者ばかりをかばい、
被害者が置き去りにされている司法の現場は
さらに本村さんはじめ遺族を苦しめる。


でも、法律を、国を、何よりも慣習を変えるのは難しい。
権力を持った人の意識を変えるのも難しい。
それでも、それに立ち向かっていき、
そして現実に法律を変えてきた。
ぎりぎりの精神状態で、
自らも死の誘惑に何度も心揺らぎながら、
悔しい思いや辛い思いもしながら、
やり遂げてきた本村さんの姿には、本当に頭が下がる。


今までも犯罪被害者やその遺族も、
きっと司法の壁や加害者保護に
とても傷つけられ、苦しめられてきたはずだ。
ただ、私たちは知らなかった。
政治家も知らなかった。
おそらくは、司法に携わる人たちも知らなかった。
本村さんたちは、それを教えてくれたのだ。
被害者たちが二重三重にも苦しめられていることを。
そして、それをどこにももって行く場所がなかったことを。


死刑制度についても考えさせられた。
正直、今まで死刑の是非についてきちんと考えたことはなかった。
人の命に関わることで、あまりにも大きな問題すぎて。
ただ、この本の中で出てくる死刑判決を受けた人たちを見ると
一部の犯罪者にとっては、「死刑」という判決だけが
目を開かせ、自分のやったことに向き合わせることができるのかもしれないと
感じたのも事実だ。
被害者は、犯人に自分がやったことに向き合ってほしいのだ。
自分を、もしくは自分を傷つけた事実を、
加害者にとって、単なる過去の出来事にしてほしくない。
自分が傷つけた相手を人間として尊重してほしい。


加害者にも、司法にも、「被害者」は「人間」なのだと、
家族も友だちも過去も未来もある人間なのだということを
知らせること、
そんな当たり前のことが、今までの日本の社会では
置き去りにされてきたんだなあと思った。


なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 (新潮文庫)

なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 (新潮文庫)