ヘヴン  川上 未映子

読み始めて、すぐに大後悔。
中学2年生の主人公「僕」が、斜視であることを理由に受ける壮絶ないじめ。
つらい。目をそむけたくなるようないじめが描かれている。
人間が人間にこんなことするのかと、
それも中学生が。
いじめというより、拷問だ。犯罪ではないのか。


そして、同じようにいじめを受けているクラスメイトの女の子「コジマ」。
貧乏で汚いといじめられているのだけれど、
その「汚さ」には、実はコジマなりの大事な理由がある。


そんないじめられている2人が
手紙を通して心を通わせていく。
いじめに対しても、それを受け入れること、
そして強くなることを選ぶ。


でも、どうなんだろう。
いじめる側の人間は、確かに人間的な弱さを持っているのだろう。
だから、それを受け入れることで
いじめられる側は、本当は弱いはずの彼らに屈しない強さを持つという
コジマの考えもわかる。
実際、コジマはどんどん強さを身につけていくわけだけれど。
でも、本当に強いのなら、
斜視を直したいと思う「僕」に失望してしまうことはないと思うのだ。


それに、いじめの主犯ではないものの、
常に高みの見物で、時にひどいいじめを提案して楽しむ「百瀬」が
「僕」と、いじめについて語り合うシーンがあるのだけれど、
それも読んでいてどうしようもない無力感に襲われる。


いじめられる側が、いじめられることをどんなに正当化して
強さを身に付けたとしても、
それすらも、いじめる側にとっては取るに足りない問題で、
何の意味もないことだという現実。
それなのに、いじめられる側は強さを身につけるために、
それほどの苦痛や悲しさを味わって、自尊心をずたずたにされなくては
いけないのだろうかと思ってしまう。
それならば、いじめる側は強さを身につけなくてもいいのだろうか。
強さって、何なんだろう。


この物語は、1991年の設定になっていたけれど、
今もこういういじめがどこかで誰かの身に起こっているのだろうかと思うと、
とてもつらい。
みんなが違っていいのにね。
違うことが受け入れられないのだったら、
ほおっておけばいいのにね。
どうして、ほおっておけないんだろうね。


ヘヴン

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