神去なあなあ日常  三浦しをん

この不思議なタイトルの本を読んでみようかなと思ったのは、
どうやら林業の仕事やその生活を描いた物語らしいと知ったから。
仕事柄、建物や住宅について調べたり考えたりするにつれ、
これまで日本の建築を支えてきた「木」というものに興味が出てきて。
でも、その「木」を育てる仕事については、
ほとんど知らない。
知らないけれど、木を相手にする仕事に対する
漠然とした憧れは、心の中で日々じんわりと広がっている。


主人公は横浜で高校を卒業したばかりの勇気。
勉強がきらいで、ゆえにあまり成績もよくなく、
特にやりたいこともなく、
高校卒業後も進学するでもなく就職するでもなく、
バイトでもするかなあ、と考えているような情けない男の子。
そんな勇気に、高校の先生が勝手に就職先を決めてきてくれた。
仕事は神去村での「林業」。
「なにそれ」「超うける」と友だちに言われながら、
それでも特にやりたいこともない勇気は
しょうがなく神去村に向かうことになる。


タイトルにもなっている神去村の方言「なあなあ」は
「ゆっくりいこうや」という意味で、
村民も「なあなあ」の精神で暮らしている。
よく言えばおおらか、悪く言えばいいかげん。
この力の抜き加減というか適当さというか、
それが読んでいてとても心地いい。
※ところで、この「なあなあ」という方言や「神去村」は
 著者の創作らしい。すごいなあ


なのに、いざ山へ入り、木と向かい合うとき、
神去村の「なあなあ」な人々は、山の男へと変わる。
チェーンソーや斧を自在にあやつり、十数メートルの大木にも難なく登る。
かっこいい。むちゃくちゃかっこいい。


勇気は大山林地主の清一さんのチームに配属になり、
そのチームのメンバーであるヨキの家に居候しながら
林業を覚えることになる。
このチームの個性豊かなメンバーをはじめ、
心温かなヨキ一家の人々や神去村の住民たちとの交流を通し、
次第に村の生活やしきたり、考え方に溶け込み、
ついには村の女の子に恋までしちゃう勇気。
何も考えてないような、いい加減な今どきの男の子の成長に
心熱くしてしまうのは、
私も男の子の母だからでしょうかね。
うちの子も、高校を卒業したらぜひとも神去村に行かせたい、
なんて、うっかり思ってしまいました。


作品の最後に描かれる48年ぶりの大祭の様子には、思わず感動して涙。
林業の大変さ、苛酷さが改めてわかったのだけれど、
だからこそそれに真剣に取り組む神去村の人たちが
かっこいいなあと思う。
そういう命をかけている危険と隣り合わせの仕事なのに、
悲壮感がなく「なあなあ」の精神で
あらゆることをゆったりと受け入れながら生きているように見えるのは
山の神様に守られているからかなあ。
そして、そういう生き方は、イスラムの神様を信じている
パキスタンの人々にも通じるものがあるような気がする。


なんだか、日々の生活で起こる小さな出来事に、
心配したり、怒ったり、悩んだりしている自分が、
小さいなあ、と。
そんな風に感じた。


神去なあなあ日常

神去なあなあ日常