1ミリでも変えられるものなら  上原 隆

「友がみな我より偉く見える日は」を読んで、
取材をしてそれを書いているというルポルタージュ・コラムを書いている
ライターというところに興味が出て、引き続き読んでみた。
これは、著者が日々考えたことや感じたことを綴ったエッセイのような作品。
サラリーマンで営業という仕事をしながら
文章を書いているという生活が、面白いなあと感じた。


著者は自分には嫌いなところがたくさんあって、
そんな自分を変えたいと思い、いろいろと自己改造の努力をしている。
クールな人間を目指してひとりで登下校してみたり、
発想を豊かにしようと現代芸術に凝ってみたり。
でも、結局、数年前と同じような受け答えをしていることに気付き、
ひとは変わらないのかもしれないと考える。

私が私と思っているものの外側に固い殻のような私があるらしい。
固い殻のほうの私は、遺伝子や時代や生育環境によってつくられたものだ。
それは、私の意識的な努力では変えられないものなのだろうか?


うーん、変わらないのは、外側の殻ではなくて、
一番内側の核みたいなものなのじゃないかなと思う。
行動パターンや趣味を変えるのは、外側の問題で、
それはいくらでも変えられるものだし、
年齢を重ねるごとに否応無く変わるものだし、
そういう年齢や環境や時代や、そういうものに関係なく
変わらないものが核として、一人ひとりにあるんじゃないかなあ。


などなど、著者との考え方との違いにうーむとうなったり、
逆に似たような部分もあったり。


ただ、父の自伝を出版したという「父の本」というお話は
好きだなあと思った。


1ミリでも変えられるものなら

1ミリでも変えられるものなら