森に眠る魚  角田 光代

1999年、文京区で起きた小学校受験にからんだ幼女殺人事件を
モチーフに書かれたらしい。
私立の幼稚園に入り、小学校受験を当然と考える母親たちの世界。
同じ年齢の子どもを持つ同じ母親でありながら、
あまりにも自分と違う世界に、びっくりする。
私立幼稚園と公立保育園、専業主婦と仕事を持つ母という違いは
もちろんあるのだろうけれど。


5人の母親が登場するのだが、それぞれ家庭の経済状態や
これまでの学歴や、家族構成はもちろん違う。
最初はその違いを好ましく思って仲良くなったはずなのに、
子どもの小学校受験を考えるようになったことをきっかけに、
次第に自分と違うそれぞれの状況を
疎ましく思ったり、羨望したり、依存したり。
そして、みんな、それぞれがゆっくりと壊れていく。
怖い。


そして、怖いというより、悲しいのが、
子どもたちが壊れていく姿。
始まりは子どものための受験だったはずなのに、
だんだん、母親の自己実現のための受験になってしまう。
子どもが、母親の自己実現の道具になってしまう。
それは、「小学校受験」だからなのだろうか。


私は自分が大人になって、学校や保育園や、ネットで知り合った
女友達がいろいろとできたわけだけれど、
大人になってからの女友達との関係って、すごくいいなあと思っている。
みんなそれぞれ違うけれど、その違いを認め合える。
無理して自分を変えることもしなくていいし、
相手を変えようとも思わない。
時に、相手の環境をうらやむことはあっても、
だからといってそれで自分の生活が恨みや嫉妬で侵食されることはない。


学生の頃のように、お互いに依存しあったり、
誰かと同じであることで繋がるような関係ではなく、
電話がなくても、メールがなくても、しょっちゅう会わなくても、
心の奥で繋がって、支え合っていられる関係。
そんなことしなくてもいい関係が作れるのが
大人の友だちの醍醐味だなあと、思っていたのだ。
でも、この物語に出てくる母親たちの関係は、そうではない。
それは、どんなにかしんどいことだろうと思う。
でも、私も同じような環境の幼稚園で、
同じように子どもを小学校受験させようと思ったら、
そうなるのかなあ。
・・・・・・うーむ。
怖すぎて、考えられない。


最後も、なんとなく光が見えたような人もいれば、
あいかわらず闇の中をさまよっている人もいて。
憧れや目標や夢を持つことと
「身の丈で生きる」ということ、
このバランスって、難しい。

森に眠る魚

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