日々是作文   山本文緒

前作の「そして私は一人になった」の少し前、31歳から41歳までの10年間のエッセイ集。
離婚して、親元に戻って、一人暮らしをして、そして再婚するまでの間らしい。
その間、病気にもなってしまったらしい。
そういうバックグラウンドを頭の片隅に入れて読むと、
面白さが深まる気がする。


ご本人が「精神的にキャパオーバー」になっていた時期の作品と振り返る
「愛憎のイナズマ」は、溢れる気持ちをぶつけている分、
その葛藤や怒りが伝わってきた。
直木賞の候補になったときに感じた憤り、わかる気がする。


どんなに恵まれている人でも、どんなに幸せそうに見える人でも、
自分の生き方や考え方や決断を、否定されたり、軽んじられたりすることは、
とても悲しくて辛くて悔しいことで。
人は人、自分は自分、我が道を行けばいい、と、
頭ではわかっていても、
そう簡単に気持ちがついていかないというのが人間というもので。


それでも、歩き出さなければいけないときはある。
一歩一歩、ぐっと歯を食いしばって歩いて行かなくてはいけなくて。
今に見てろよと。そう自分に言い聞かせながら。


自分が軽んじられていることの悲しみは、
「いやなものはいや」でも書かれている。
これは、仲がよかった友人との別れを綴ったエッセイ。
悪気のない友人から与えられつづける鈍痛。
こういうことは、友人に限らず、恋人や家族や親子でもあることだなと思った。
悪気がなく、そして実際明らかに悪いことをされてるのではないけれど、
だからこそ静かに静かに心の底に澱のように溜まって行く。
本人も気が付かないままに。
というか、気が付いても、だからといってどうしようもできないこともあって。
ただ、一番恐ろしいのは、
自分ももしかしたら誰かに鈍痛を与えているかもしれないということ。


うーん。
難しいね。←結局まとまらない。


もう一つ、はっとさせられたのが「読むのもほどほどに」というエッセイ。

 もちろん、ものを読むことは楽しいことだし、いいことだと思う。けれどこんなに情報過多になった世の中を見回してみると、私には”あんまり読まない人”の方が動物的感であるとか、情緒という点で優れているのではないかと実感する時がある。
 次々にむさぼり読むことよりも、大切なことがあるような気がして、私はこの頃わざと鞄の中に文庫本を入れないようにしている。

確かに私も、出かけるときは必ず本を持って行く。
家で本を読む時間がなかなか取れないので、電車の中が貴重な読書タイムということでもあるし。
途中で読み終わりそうなときは、もう一冊入れて行く。
最近、電車に乗るのはたいてい取材のときなので、本を読まないときは
資料に目を通したりして。
もしくは、日頃の睡眠不足を補うために寝る。


つまり、電車の中で何もせずにぼーっとすることは、
すごくもったいないことだと思っていたのだ。


でも、先日、ためしに本を持たずに電車に乗ってみた。
すると、最近気になっているけれど、きちんと向き合ってなかったことに
いつの間にか気持ちが向かっていて、
自分の心の奥にどんどん降りて行くような時間が持てた。
とても、充実した時間だった。


読むことは楽しい。読みたい本もたくさんある。
正直、今、ガンガン読みまくりたいモードだし。
でも、同じくらい、読まない時間を持つことも私には必要なんだと。
そんなことに気付かせてくれた。


日々是作文

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