そして私は一人になった   山本文緒

りーさんのマネして、お久しぶりの山本文緒
この人の作品は、以前はよく読んでいたのだ。
ただ、読んでいるときは面白くて引き込まれるのだけれど、
読後の印象がいつも薄いというか、それでだんだん読まなくなってしまって。


ただ、今回は物書きさんの日記エッセイということで興味を持って読んでみようと。
先日読んだ岸本さんの日記エッセイも面白かったので。


りーさんも書いていたけれど、たしかに今でいうブログみたいな感覚で読めるなあ。
ただ、時代が1996年というのが今とはずいぶん背景が違うけれど。
原稿を郵送で送っていたり。そのうちメールで送るようになるんだろうけれど、
それに抵抗がある、みたいな記述があったり。
でも、きっと2008年の現在は、山本さんもメールで原稿を送っているんだろうな。


1996年、私は28歳だった。
派遣会社に勤めていて、毎日毎日終電近くまで仕事していた。
そして夏に妊娠がわかって、つわりに苦しんでいたころだ。
親との関係もよくなくて、妊娠したことで会社との関係もよくなくなって、
辛い時期だったなあ。しみじみ。


あの頃、今みたいにネットやブログなんかが手軽に使えていたら。
もう少し、気持ちが楽になっていたかもしれないな。


なんて。話がずれてしまったけれど。
でも、物を書くことを仕事にしている人の日記は、とても面白いし、
とても元気づけられる。
それは、単に、一応私も書くことを仕事にしているからだろうけれど。
もちろん、岸本さんも山本さんも(って、知り合いかよ・・・)
私とは全然レベルが違うのだけれど。


だからこそ、親近感がわくというか、こんなすごい人たちも
書く日常は私と同じような感じだなあと嬉しくなるし、励まされる。
違いは、二人ともこの日記の上では一人暮らしで、私は四人暮らしということだけど。


心に残ったのは

 小説を書く、ということは、私にとって終の住処という感じがする。書けない時もあるし、他の仕事に浮気をするときもあるかもしれない。でも私は、死ぬまで書くんだろうなと不思議な確信を持っている。

というところ。
ああ、これこそが、天職なんだろうなと思う。


思いっきり共感したところは

 私は時々自分の感情に自信が持てない時があって、頭にきても「こんなことで怒っていいのかな」と思ったり、悲しいときでも「こんなことでくよくよするなんて情けないな」と思ったりしてしまう。そうやって感情をセーブし続けると、単純にストレスがたまるし、情緒が薄れていくのが自分でも分かるのだ。

自分が感じたことに自信が持てないということ。
自分の気持ちを素直に認めて受け入れてあげられないこと。
それは私にとっての永遠の課題だ。
自分が感じたことを受け入れてあげられない自分に、
さらにストレスを感じるという、ほんとにもう負のスパイラル。


でも、私以外にもそういう人がいたんだと思うと、
そしてそういう人がそういう特性(と言っていいのか)を
物を書くという仕事で昇華しているというのは、
ほんとに、励みになるし嬉しくなるし、
こんな私でも何か道が開けるのではないかと思えるのだ。


もしかして、今、山本文緒の本を読んだら、
以前に感じていた印象が残らない感じとは
また違う読後感を感じることができるのかもしれない。


そして私は一人になった (幻冬舎文庫)

そして私は一人になった (幻冬舎文庫)