悪人 吉田修一

出会い系サイトで知り合った保険外交員の女性を殺した祐一。
その後同じく出会い系サイトで知り合った別の女性と逃げてしまう。
この殺人事件を軸に、その背景にある人々のさまざまな思いが描かれる。


物語の舞台は福岡。祐一が暮らすのは長崎だ。
町の名前や言葉、食べ物など、テレビで紹介される観光地としてではなく、
生活している場所としての長崎や博多の空気感に満ちている。
まあ、それはまさに私が長崎と福岡で暮らし、
殺人の現場となった三瀬峠にも何度も行ったことがあるからだろうけれど。
物語で描かれる風景がまざまざと目に浮かび、
映画を見ているような感覚だった。
著者はやはり長崎出身。なんと私と同じ年だった。
なるほどなるほど。


登場人物は、こんな人いるよなあ、と思えるような人ばかり。
あまり仲良くなりたくないタイプや、見ていてイライラするタイプも。
でも、それぞれの感情や生き方の背景が、淡々と丁寧に描かれているせいか、
共感はできなくても、理解はできる。
ああ、だからこの人はこんな風に話すんだ、こんな風に考えるんだ、と。


主人公の祐一は、とことん不器用な男だ。
ヘルス嬢に毎日手作り弁当を持って店に会いに行ったりと
まるで普通の出会いのように接してかえって怖がられたり。
自慢の車も、結局近所の老人の足として使われてばかり。
そして、相手が自分に対して罪悪感を持ったときは、
それを軽くするために自分が憎まれるようにしてしまう。
まるで、自分を犠牲にすることでしか生きられなくなってしまったようだ。
それがとてももどかしくて、悔しい。
特に最後の祐一の言動は、悲しくて切ない。


ただ、救いなのは、祐一と同じように
不器用にしか生きられない人たちが、
ただ流されて、諦めて生きてきた人生に
自分自身で決着をつけて、自分の足で立ち上がっていくこと。

逃げとるだけじゃ、なんも変わらんとよ。待っとっても助けは来ん。このままじゃ、配給の芋を投げられて、それでも黙って拾っとったあの頃と変わりゃせん。がんばらんば。馬鹿にされてたまるもんか。がんばらんば。もう誰にも馬鹿にはさせん。馬鹿にされて、馬鹿にされてたまるもんか。

自分に言い聞かせて、嘆くだけの人生から歩きだした
祐一の祖母の姿。かっこよかった。


誰にでも、善の部分と悪の部分があって、
それは常に紙一重であって、誰でもいつ悪人と呼ばれるかわからない。
でも、不器用でも、たとえ周りからかっこ悪くみえたとしても、
自分の大切なものをきちんと自分でわかって、
しっかり前を見て歩いている人はかっこいい。
そして、いつでも誰でも、そうなれるんだ。


悪人

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