テロル  ヤスミナ・カドラ

ろくさんの書評を読んで、早速図書館に行って借りてみた。
なんだか重たそうな内容で、きついかなあと思いつつも
一応イスラムに関わる身として、ここは頑張って読んでみるかと。


主人公はアラブ系でありながらイスラエル帰化した外科医アーミン。
仕事も成功し、最愛の妻と裕福に暮らしていたはずだった。
ところが、ある日いきなり妻が死んでしまう。
それも、自爆テロで。
アーミンは何も気がつかなかった自分を責め、
そして、なぜ妻がそのような行動を選択したのか、
真実を突き止めるために動き出す。


私が知るイスラムの人は、俺様を通して知り合う人がほとんどだ。
俺様の家族や親戚、友人たち。
みんなちょっと照れ屋で、陽気で、おせっかいで、
自分が大事な人に対しては無防備すぎるほど尽くすような人たちだ。
自分をすっかり委ねることができる「神様」という存在があるからこそ、
見返りを求めずに人に優しくできるのだと実感させられた。


それなのに。同じ神様を信じていながら、
どうして一部の人は過激派になり、テロリストになってしまうのだろう。
「テロル」でアーミンが出会うイスラム教徒は、過激派ばかりだ。
唯一、私が知るイスラム教徒に近いのが、アーミンが子どもの頃に
過ごした果樹園で過ごす親戚たち。
でも、そこでも悲劇が起こる。そして生まれる憎しみが、
穏やかな人生を生きてきた人を、向こう側に連れて行く。
憎しみの連鎖が生まれる瞬間。

自尊心を踏みつけにされると、それがきっかけとなってとんでもない惨事が引き起こされる。尊厳をたもてるだけの力の裏付けがなく、自分が無力だと自覚させられたときはなおさらだ。

自分の無力を意識したときから、人は真に憎むことを知る。それは悲痛としか呼びようのない瞬間だ。比類のないほどむごく、忌まわしい経験なのだ。

こう語る過激派の男は、自分たちの憎しみを「狂気」だと言っていた。
わかっているのだ。でも、その狂気から逃れられないし、
誰しも彼らと同じ状況に置かれたときに、
その狂気に飲み込まれないという保証はない。


それでも。
どうにかして、この憎しみと悲しみの連鎖が断ち切れないかと思ってしまう。
お互いに傷つけられた自尊心を救えるのは、もう宗教だけかもしれない。
でも、パレスチナの問題は、もう、宗教の問題から離れている。
それでも、宗教の名を借り続ける限り、この闘いは宗教では救えない。


うーむ。まとまらなくなってきた。
ともかく、「イスラム過激派」「テロリスト」という括りでなく、
その中にいる人の心の奥をこの本が見せてくれたことで、
自分の中のもやもやが、少しカタチになってきたような気がする。


テロル (ハヤカワepiブック・プラネット)

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