その日のまえに 重松清

最近は、気になる本があればとりあえず図書館に予約して
連絡があったら受け取りにいくようにしている。
というわけで、いきなり同時に数冊が回ってきて慌てることも。
そうでなくても、予約して数ヵ月後に連絡が来たときは
「えーと、いったいこれはどういう内容の本だったっけ?」と
思うこともしばしば。
でも、まあそれはそれで、サプライズっぽい感じで楽しくもある。


そして、この「その日のまえに」。
どうしてこの本を予約したのかすっかり忘れて電車の中で読み始め、
涙と鼻水でぐしゅぐしゅになってしまった。
サプライズは、こういう危険性と隣り合わせでもある。ふっ。


この本が意味する「その日」というのは、
人が人生を終わる日のこと。
クラスメイトに「その日」が来ることを知った小学生。
ある日、医師から自分の「その日」を告げられたサラリーマン。
夫にいきなり「その日」が来てしまった女性教師。
そして、妻の「その日」を宣告された夫。
それぞれの話の短編集な形でありつつ、
最後の話でそれまでの話が交差し合い、
そのことがなおさら、「その日」がすべての人の人生に
関わっているということを感じさせる。


「その日」を境に大切な人を残していかねばならない人の無念さ。
「その日」から残される人の悲しみ。
一番残酷なのは、「その日のまえ」の日々なのかもしれない。


そして、誰もがいずれは「その日」を迎える。
ある時は残される側として。
そして、いつかは残して去っていく側として。
わかっていることなのに、当たり前のことなのに、
当たり前すぎて忘れてしまう。


この本を読む少し前、インフルエンザにかかった。
いつまでたっても下がらない熱。
少し動いただけで動悸がして座り込んでしまうほど落ちた体力。
せめて薬を飲む前だけでも食べなければとわかっていても、
何ものどを通らない。
つい、昨日まで元気に笑って食べて飲んでいたのに、
人の体はこんなにも簡単に変わってしまうんだと恐ろしかった。
病気や死というものは、すぐ隣にあるものなんだと。
ある日いきなり、体が死に向かって歩き出すことがあるのだと。
そんなことを感じた。


考えてみると、当然のように今日の次に明日が来て、
今年の次に来年が来て、
子どもたちは成長し、私たちは年をとっていく。
それを前提として私たちは日々を過ごしているからこそ
子どもたちの将来や自分たちの老後を考えて
いろいろ計画をしたり、心配したりするわけだ。
それはもちろん大切なことだし、現実に生きている私たちは
今が未来に繋がっていることを忘れるわけにはいかない。


でも。
それだけを考えすぎているのかもしれない。
ある日、いきなり「その日」が来るかもしれないし
「その日のまえ」の日々が始まるかもしれない。
そのときに考える未来は、今考えている未来ではなく、
「その日のあと」としての未来になるのだろう。


いつか訪れる「その日のまえ」と「その日」、
そして「その日のあと」の日々を
後悔することなく、きちんと受け止めるためには、
今日のこの日に目の前にあるものを、
どれだけ大切にできるか、なのかもしれない。
そしてときには、前ばかり見るのではなく
過去に目を向けるのも悪いことじゃない。
なんて、そんなことを思った。


その日のまえに

その日のまえに