おとなの小論文教室。

2003年の春夏ごろ、私はそれまでのCADの仕事が終わってしまい、
仕事が無い状態が続いて、途方にくれていた。
仕事がないだけじゃなく、精神的にもかなりダメージを受けていて、
本当につらかった。
自分自身も、自分がやってきた仕事も、全部否定されたような、
このまま走っている車の中に突っ込んでいったらラクになれるかと
一瞬でも思ったのは、おそらくそれまでの人生でも初めてかもしれない。


後になって、その頃に同じように仕事がなかったという人が
実は私のお友達でも何人かいたことがわかった。
そのうちの一人は、自分の好きな方面の仕事をしっかりとつかんで、
これまでの経験を活かしながら、さらに先に進んでいる。
また、別の一人は、自分の才能を見出してくれる人に出会い、
これまでとはまったく違う仕事で、どんどん世界を広げている。


同じ3年間、私は何をやっていたのだろう。
ともかく獲得できたライターの仕事を必死でやってきただけ。
もちろん、仕事を選んでいる立場でも状況でもなかったけれど、
それでも、これからどういう方向に進みたいとか、どうなりたいとか、
こういうことをやっていきたいとか、何も考えてなかったのではないか。


先日取材で、あるフリーランスの方にお会いした時に、
「一つの仕事は3〜5年で終わると思った方がいい」という話を聞いた。
今の仕事もいつかは終わるだろう。
その時に、私はそれからどうしたらいいのだろう。
私は3年後、5年後に、どうなっていたいのだろう。
それより以前に、私はこれからライターとしてやっていけるのだろうか。
ライターなんて、掃いて捨てるほどいるこの世の中で。
わかっていて飛び込んだ世界だけど、編集の経験もなく、企画もできず、
取材対象者を探せないとおろおろしているような状態で、
これから先、ほんとうにやっていけるのだろうか。
私はどんなライターになりたいんだろう。
何を目指しているんだろう。何をやろうとしているんだろう。


自分自身の気持ちさえ見えなくなって、
自分のやりたいことがわからなくなって、
目の前の仕事をこなしていくことしかやっていなかった自分に怒りさえ感じて、
これから3年後が、また3年前の自分のようになっているかもと思えて、
自分に自信をなくしてしまっている時に、読んだ本。
(って、前置き、長すぎ・・・)


この本は、「小論文の書き方」を教えてくれるのではなく、
「表現する」ということに対する足かせを、一つ一つ取り除いてくれる本だった。
心に響いた文章に付箋をつけながら読んでいった。
読み終えたときには、付箋だらけになっていた。


その中でも、特に今回はっとさせられた言葉。

自分の中にもともと個性はない。
自分の中にもともと才能はない、としてみる。
自分の個性は、人に出会って、関わって、自分の価値を認めた相手の中にあると考えてみる。

そうなのかもしれない。
自分が知っている自分なんて、ほんのちっぽけな部分でしかなくて、
他の人との関わりや、仕事を通して、新しい自分を知ることは、たくさんある。


ある編集者の方に「やわらかで優しい文章を書くライターさん」と言われ、
自分の文章はどちらかと言うと硬いと思っていたので、びっくりしたことがある。
(ライターとして、自分の色が出てもいいのかという不安もあるけれど、
その編集者からは「今回もさとこあら節でお願いします」と言われることが多く
たぶん、それはそれでいいんだろうなと思ったりすることにしている)
その後、別の編集者にも同じようなことを言われ、
ああ、そうか、私ってそうなんだと思ったのだ。
それは、仕事を通して生まれたものかもしれないし、
もともとあったものを見つけてもらったのかもしれない。
でも、私一人だったら、きっと見つけられなかったし、気づきもしなかった。


そして、この本を読み終わって、自分にたくさん「問い」を投げかけて
なんとなく自分の気持ちがつかめたような気がする。


今、自分の道や方向性をすぐに決めなくてもいいじゃない。
今、自分の才能や個性がわからなくっても、いいじゃない。
今、わかっていることは、私は今の仕事が好きで、もっともっと書きたいということ。
いろいろな人に出会って、いろいろなことを考えて、書いて、
それが人の目に触れて、心に触れて、その時に見つかるかもしれない
個性や新しい自分を知りたい。

まだ、具体的な3年後の自分は見えないけれど、
自分の軸が見つかったような気がしている。


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