精霊流し  さだ まさし

今年は祖母の初盆で、精霊流しをすることになることから
読んでみようかな、という気になった。


さだまさしは、同じ故郷の人だけれど、
そんなに好きなわけではなかったから、今まで読む気にならなかったのだ。


正直、小説の出来としては全体の構成とかちょっと読みづらいかな、
とは思った。
でも、長崎市民としては、ただ読んでいるだけで
ぼろぼろと泣けてしまうのは、
福山雅治の曲を聞いているときと同じような感覚なのかなあ。


小学校の名前とか、町名とか、方言とか、街の風景とか、
これは地元の人しかわからんやろう、みたいな表現がたくさんあって。
たとえば、諏訪神社から見る彦山なんて、
テレビでも出ないし、ガイドブックでも出ないし、
グラバー園眼鏡橋や出島やハウステンボスみたいに
観光としては何のアピールできるものでもないけれど、
長崎市民にとっては、彦山こそが故郷の一番のシンボルでもあったりする。


だから、この作品は長崎の人以外に受け入れられたのかなと
心配になったりもしたのだけれど、
ドラマになったり映画になったりしたようだから、
案外受け入れられたんだなあと、ちょっとホッとした。


精霊流しのことや原爆のこと。
長崎では生まれ育ったからこそ、私の血となり肉となってきたのだなと感じる。
埼玉で育っている私の子どもたちは、
学校で原爆に関する教育を受けていない。
私たちにとって、原爆はたとえ被爆していなくても自分の一部であったし、
8月15日は終戦記念日ではなく、精霊流しの日だけれど、
私の子どもたちはそうではない。
その現実を、私は自分が長崎を出て初めて知った。


でも、そういうことを日本中に伝えられる人がいるんだなあと。
芸能人というのは、そういうことを伝えられる人なんだなあと。
そして、その機会を無駄にすることなく
きちんと伝えてくれる「さだまさし」という人に
私は初めて「ありがとう」と思った。


私は今年の夏、大好きだった祖母を精霊流しで送ることになる。
でも、そうして故人ときちんとお別れをさせてくれる
精霊流しという歴史を持つ長崎に生まれ育ったことを
とてもありがたく思うし、誇りに思う。
私も、死んだら長崎で精霊流しで送ってもらいたい。


なんて。どさくさにまぎれて遺言しちゃったりして。


精霊流し

精霊流し