働く気持ちに火をつける −ミッション、パッション、ハイテンション!  齋藤 孝

       

よん様がブログで紹介していたのを見て、
早速図書館で借りてきた。


基本的に働くことは嫌いではない。どちらかというと好き。
それでも、やはりときどき自分の実力や経験のなさに自信がなくなったり、
うまくいかないときや嫌なことがあると
あーあ、何やってるんだろうなあ・・・・・・なんて思うこともある。
そんな私が、この本で一番心に響いた言葉は

才能においては、いまの自分程度では十人並みだと感じても、その仕事をやっている限りはちょっとずつでも向上していく喜びがある。それが自分に向いている天職だ。


世の中には文章が上手な人がたくさんいて、
ああ、いつかここに書けるようになりたいなあという憧れの雑誌には
私が思いもつかないような豊かな言葉がちりばめられていて
その度に自分の力のなさや無力さや憧れへの道程の遠さを思い知る。


それでも、ときどきは
書いたものが褒められたり、相手に喜んでもらえたりして
嬉しいなと思うことがあったり、
自分でも、これだ、と思うものが書けることもあったり、
本当に少しずつなのだけれど、向上する喜びがある。
それがあるからこそ、続けられるんだなあ。
天職というにはあまりにもおこがましいけれど、
結構向いてるのかな、くらいは思ってもいいのかも。なんて。


そして、とっても反省したのが

仕事の誇りのために、自分の時間と労を惜しまない職人気質と対局をいくものとして、”時給感覚”があげられる。時給感覚というのは、自分の時間を投げ捨てて、その分を換金するという発想である。ミッション感覚とは無縁のものだ。これはどんな仕事もつまらなくしてしまい、人間を腐らせてしまう、非常に危険な考え方だ。


はい。ほんとに、おっしゃる通り・・・・・・
ライターの仕事は、ただ書くだけじゃなくて調べることが本当に多い。
取材に行くために調べて、取材に行ってその後でまた調べて、
書き始めるまでの時間がすごく長い。
おまけに、さらっと書けることなんてめったにないし。
まあ、いつもいつも時給換算しているわけではないけれど、
やはり、たまに仕事に行き詰まったり気分が落ち込むと
それに追い討ちをかけるように「時給感覚」が浮かび上がってくるのだな。
でも、そんなこと考えても、何のメリットもないのだ。
もう、「時給感覚」とはサヨナラしなければね。


あと、どこでも繁忙期というものは重なるらしく、
忙しいときほど仕事の依頼がどさどさと来る。
仕事量の調整を自分でしっかりやることもフリーとしての力量の一つと思いつつ
どうしてもどうしてもお願いお願いと言われると、
相手の大変さもわかっているから断れなくて受けてしまう。
そして、激ジョブ生活に突入し、身も心もヘロヘロになって
その度に「こんな生活はもうやめよう」と思うのだけれど、
喉もと過ぎればなんとやらで、しばらくするとまた同じ事の繰り返し。
忙しすぎて気持ちがネガティブになると、
結局自分はただの便利屋なのだろうかと思うことも。
でも、この言葉で、ああ、それでもいいんだなあと思えた。

経験値を積むにはできるだけ速く、できるだけ大量の仕事をこなすこと。それが積み重なるほど仕事はスピーディかつ確実になる


とにかく仕事を次から次にこなしていく日々の中で感じる
私に求められているのは、質よりも量なのだろうかという一抹の不安。
それでも、あるときふと、
今まで2時間かかっていたものが1時間でできるようになっていたり。
そして、時間がない中で締め切りが来てしまい、
ああ、これで大丈夫だろうかと不安なまま渡した原稿が
意外にも評価が高かったり。
きっと知らないうちに何かが積み重なっていたのかもしれない。
とにかく書くこと。量をこなすこと。
それも文章を書く職人としての、大切な修行なのかも。


まあ、なかなかハイテンション!にはなれないけれど、
不必要に落ち込むこともなかろう。
よく陥りがちな落ち込みポイントから救い上げてくれるような言葉が
たくさん入っていた本だった。