中学んとき  久保寺 健彦

ろくさんが読んでいて「おおっ、中学生男子の話か!」と
私もさっそく図書館で予約。
とある町にある4つの公立中学校のそれぞれの3年生の物語だった。


3年生だからかなあ。うちの中2の息子と比べると
ずいぶんと大人っぽい印象というか、しっかりしているというか、
あと、こんなに女の子のこと考えてるものなのかなと。
いや、うちの子は他の子と比べてお子ちゃま度が高いからなあ。
じっさい、同級生で女の子と付き合っている子もいるみたいだし。


心に残ったフレーズは、家出をしようとしている男子2人が語り合っているときのセリフ。

……ぶっちゃけおれら、特別顔がいいでも、頭いいでも、
スポーツできるでもないじゃん。
そんなんで将来のこと考えさせられてもさー。
なんつーか、三枚ぐらいしかないカード裏にして、そん中から選ばされてる感じ。
しかも全部、ババ、みたいな。つまんねえよ


ほんっとに、大人として親としてごめんなさい、です。
いや、顔がいいでも、頭がいいでも、スポーツができるでもないからこそ、
将来のことを考えなさいと言いたくなるんだけど。
でも、子どもたちにはまだまだ見えない可能性や、
たくさんの道があるんだよね。
なのに、どうして親は3つくらいの道しかないと思ってしまうんだろう。
やっぱり、自分が安心したいからだろうなあ。
ほんと、子どもにしてみたら「じょーだんじゃないよなあ」って感じだと思う。

吾郎はこのごろ、すでに失われたもののように、見なれた塾のあちこちをながめることがあった。
待合室の古ぼけたベンチ。いつもマンガが並んでいる棚。
子ども用の机や椅子。黒板に横向きにかけられた、大きなそろばん。
そこにはおだやかな時間が流れ、激しさや荒々しさとは無縁に思えた。
しかし、いったんそこをはなれたら、心をかき乱す、得体の知れないものに
巻き込まれそうで、その予感が吾郎のイメージする青春だった。


自分が小学生の高学年や中学生くらいのことに感じたことを思い出した。
ずっとずっと、好きなはずだと思っていた
子ども向けの番組が、いつのまにか退屈になっていたこと。
大好きだったおもちゃ、くりかえし読んでいた本、
学校帰りにいつも遊んでいたお寺、交換日記。
今まで自分が大切にしていたものから、
自分のほうから気持ちが離れていくことに気が付いたときの寂しさ。
でも、いったん離れてしまったら、
もう戻れない。
あんなに安心できて心地よかったところには、
もう、戻れない。


ツカサも、いつのまにかあんなに大好きだった
飛行機や、ムシキングとはサヨナラしてしまった。
空港に行く度に、売店
「ひこうち、かって!ひこうち、かって!」と言っていたのにね。
最近、「オレって、もう子どもじゃないよね。大人ってわけでもないけど」
なんて自分でも言い出したし。
なんとなく、自分でもそう感じだしたのかな。


まあ、でも、まだ「ほねほねザウルス」を
「ぶしーん、ぶしーん」と言いながら戦わせてるから、
彼が考えているよりも少し子ども時代は続きそうだけど。


中学んとき

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